┃┃ 2008.07.5 外から見た日本。外から見た西欧。(コトル→ティラナ)
アルバニアは最もヨーロッパの中で貧しい国といわれ、一般の国民が車を持つことを許されたのも、ほんの10年ほど前。
なので、ツーリストにとっては非常に旅しずらい国なのです。
交通があまりに整っておらず、近隣諸国との連携もうまくないので直通バスがなかったり、、、とにかくモンテネグロからアルバニアに行くのになぜ迷ったかというと、この複雑さにあります。



モンテネグロからアルバニアの首都、ティラナに入るためには1日がかりの移動となります。
直行バスが走ってたらおそらく時間は5時間ほどですむと思うんだけど、、、、。
上記のバス、国境を越えたり、しかもバスの発着地がみんなばらばらだから歩いて移動して、1時間出発をまって、
となると、朝6時半にでて、着いたのは、5時を回っていました。

さてさて、アルバニアでは入国する際に税金として10€かかるとロンプラでも、地球の歩き方でも書かれていますがどうやら、タダだったり、1ユーロだったり、人によっては10ユーロだったり、かなりまちまちなようです。
私たちの場合は、、、というと、1€。アメリカ人のポールと私だけが外国人だったので、アルバニアの国境で下ろされ入国税を払いました。
その入国税、入国審査官のポケットマネーとなったのはいうまでもありません。そう、そういうことです。これは彼らのポケットマネー。陸路に関していえばその費用は彼らのビール代、そんなところでしょうか。
シュコダルバス乗り換え場所。

入国はスムーズでした。簡単なことをさらりと聞かれただけ。7日ほど滞在するというと、30日の許可をもらいました。

モンテネグロの国境からはミニバンで向かいます。

今回の移動はたまたまコトーのプライベートルームで一緒になった、アメリカ人の教授がティラナに行くというので一緒に行くことになって、10時間の長旅のなかで彼が韓国で働いていたときの話をいろいろ聞きました。
彼、ドバイで大学教授をしていて、休みのたびに世界中を放浪しているというツワモノ。韓国の大学で働いていたときは日本も含めアジア放浪三昧、アフリカも放浪、6週間の休みを思う存分満喫している超うらやましい生活っぷりでした。
私は仕事をすることは好きだし、もしこんなワークスタイルが取れていたならば、やめて世界一周にでる、そんなことはなかっただろな~って思います。少なくとも、海外で働いたり、留学したりする以外、6週間休みがとれたら、十分だし。旅行には。

「仕事はやめて旅にでたの?」
そう質問されて、
「知ってるでしょう?日本人は最高でも9日くらいしか休みをとらないから、大学を卒業して以来、ヨーロッパに来るのは初めてなの。」
「日本人スタイルだね。」
旅先でもたくさんの日本人に会ってきた彼は日本人の長期旅行者がほとんど会社をやめて旅に出ることを知っていました。
もちろん私のたびの中でも、日本人バックパッカーの9割が会社を退職してきた人ばかり。
一方ヨーロッパは、というと、大概が3週間ほどの休みを利用して、バックパックで気軽に放浪している若者ばかりでした。

ウルツイについて、次の乗り継ぎを待っていたときに彼に言われたこと、
「韓国にいたとき、韓国人って、朝から晩まで働くのに、家に帰らずに飲みに行くんだよね。家族には会いたくないらしい。
でもって、自分がどれだけ一生懸命働いたかって飲みながら語るんだ。ぼくらは仕事が終わったらまっすぐ家族のために家に戻るのに」
以前新聞でみた、家族と過ごす時間を国別比較していた記事を思い出しました。圧倒的に欧米と比べて日本人の家族が一緒にすごす時間が少ない理由が分かる気がしました。単に日本人が働きすぎってわけでもないんだなあ、って、はっとしました。日本文化にもその違いはあるようです。

そんな中、ふと、今まで旅してきた国々を振りかえると、
モンテネグロでお世話になったプライベートルーム、ミッキーの家では7時くらいには家のテラスに家族みんなが集まって、お酒を交わしつつ、9時すぎくらいまでゆっくりご飯をたべながら団欒してました。

リゾート地ではペットを連れた家族づれが長期滞在用のアパートメントを借りて、休日をゆったりと過ごしていました。

日曜日の街は明らかに人が少なく、各家の庭先で家族が本を読んだり団欒していたり。
お店はしっかり休業中。
モンテネグロはかなり働く国のようで、ほんの小さな八百屋さんでも24時間オープンなんてやってました。
それをみたノルウェー人、「頭おかしいわ!!」
「・・・・・・私、日本人だから結構普通だけど、、、、」「休むときにはちゃんと休む。エンドレスに働くなんてまるでナンセンスだわ」

一般の家のバルコニーには色とりどりの花が飾られていたり、家庭用の食用の草花をつんで料理したり、ガレージに実ったぶどうを使ってワインを作ってみたり。

明らかに、普段の生活時間の使い方も旅行の仕方も違うのです。ゆったり、家族との時間を過ごすこと。。。。
時間があるから、家の手入れも、ガーデニングも、日々の食材も、仕事とプライベートの時間、趣味のこと、家族のこと、
すべてをうまく織り込んだ生活に映るのは気のせいでしょうか??

私が日本で働いていたときは、がんばればがんばるほど、人間の生活から遠ざかっていっていた気がします。
長い10時間の移動のなかで、ふとそんな日本の姿を違うフィルターから言葉にして改めていわれると、はっとします。

前日の晩にたまたま日本人に出会い、同じことが話題にのぼっていました。
「せめて、誰にも頭を下げずに休みを取りたいよね」
彼は1年間オランダに仕事に来ていて、3週間の休みを利用して旅行していました。
「僕が休みをとるときに、日本みたいに、一応同僚に休みをとりたいことを伝えたんだけど、なんで君はそんなに申し訳なさそうにいうんだい?っていわれちゃったよ。」
昔オランダ人の友人に7月くらいにメールしたときに、会社メールだったので、ポーンと、
「7月の末まで3週間お休みです。それ以降に連絡してね」
と自動返信が来たのを思い出しました。

日本を離れてもう2ヶ月、数え切れないほどの国の人と出会って、「ちっちゃい島国日本」をこれほど感じたことはありません。
海を越えるとこんなに違うんです。ね。
自分の時間のすごし方、何が一番よいのかはそれぞれなんだろうけど、ね。

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┃┃ 2008.07.06 ティラナ
今日はアルバニアの首都、ティラナを散策することにしていたのですが、、、、
なんとまあ暑い日がつづくもので、
夕方の4時を過ぎるまでホステルでぐ~だらしていました。




このホステルはロンプラ(ロンリープラネット。世界で最も売れている旅行ガイドブック)でも地球の歩き方にも掲載されているので、バックパッカーはほとんど集合しているようなかんじでした。なんとここで2人も日本人にあってしまいました!
アルバニアの街はほかのヨーロッパの街を歩いているかんじとさほどはかわらない雰囲気もあったんですが、
物価が安い!スーパーで買い物すると大体日本の0.8くらいの感じです。
アルバニアの街を歩いていて、気づいたことがあるのですが、
建物のデザインが、



ださい。
ださくないですか???
趣味が悪い、、、、
デザイン途上国、、、なんでしょうか??



あと、途上国独特なのが、ゴミ。ざっと見たところ綺麗に掃除されている雰囲気はあるんですが、まとまった場所にそのままゴミがどっさり捨てられていたり公園の芝生の上にビニール袋がちらほら見受けられていたり、、、まだまだ、な感じがします。。。
ヤフーカフェを見つけました。

ところがアルバニアの人たちって、アジア人がかなりめずらしいのかなんなのか、すごくよく声をかけられました。
インドと違って、挨拶して手を振ってくれるくらいなんですが、やっさしい~雰囲気をもつ人が多かった気がします。



見所はそんなにないですが、町中ビルの建設ラッシュで、ほんの数年でこの街はがらりとモダンな雰囲気に変わってしまうのかな、と思うと少し残念な気もします。



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┃┃ 2008.07.07 白い大地のエメラルドビーチを目指して。(ブーノ)
ティアラからアルバニアの南部、サランダに向かうバスは朝6時に1本あります。
そのバスだけが、海沿いを経由し、なんといってもその景色が絶景だというので朝ゼッ不調な私が
一大決心して5時起きを決意したのでした。
その決意がアルバニアの姿を垣間見ることになるとは思いもしなかったのはいうまでも在りません。
逆に、アルバニアの石灰からなる山々の壮大な景色と美しい海岸、田舎の風景、そんなことが頭をよぎっていたのも
無理はないでしょう。おそらく、誰だってそうです。世界中のツーリスト、ならば。


はい、寝坊しました。
5時起きを決意したはいいものの、眠れない!意識しすぎて眠りに入ったのはなんと3時でした。
ふと目が覚めると、・・・・・5時30分!!
「遅刻だ~~~」
ドミの外では朝早くに出るバックパッカーカップルが準備しているところを横切って、
社会人時代に養った?猛スピードでものの5分で外に飛び出しました。

アルバニアはバス停も時刻表もみんなばらばらで、行き場所によって発着地がまるで違います。
その日の向かうバス停はタクシーでなければ行けない場所。ところが、、、、
タクシーいないじゃん!!!

「おじさん、タクシーのせてよ!、この紙に書いてる場所!」
タクシーのそばにいたおじさんに昨日やどの人に書いてもらった停留所の紙を見せると、
「どれどれ?ああ、こっちこっち」
と、のんびり人のよさそうなおじさんは指で場所を指差しました。
はるか、向こうのバス停に向けて。

「知ってるってば!!タクシーに乗りたいの!!!」
そのおじさん、実はタクシーの運転手ではなかったらしく、親切に行き先だけ示していました
「分かってない~!!ありがと!!!」
うわ~~~、、、、、、遅刻だ~~~~

通りにでても、タクシーのサインはあるものの、車はおらず、いても中は空っぽでした。
さすがアルバニア、、、、

しばらく道路沿いにいらいらしながらつったっていると、
「タクシー?」
と普通乗用車と思える車が止まってくれました。
「うわ~きたよ!!、ここにつれてって!!600レクでいい?」
「500レクだ。」
なんていい人なの!!
「オッケー!!」
そのままバックパックをすぐさま助手席に乗せてそのおじさんはバス停まで向かいました。
バスは15分に出発なんだけど、大丈夫?
そう聞くとおじさんは6時5分前の時計を見せて、大丈夫、とジェスチャーしてくれました。
タクシーの向かった先は、到底歩くことのできない距離で8分以上走り続けました。
着いた先ではちょうど満杯になったバスがたくさん泊まっていて、おじさんは行き先がかかれている紙を見て
私の乗車するバスまでつれていってくれました。
私がのった後、しばらくしてバスは発車。なんとか乗り込めた安心感でしばらく眠りについてしまいました。

今考えると、なんのサインもなかったあの車はタクシーではなかったのかもしれません。500レクは相場の700レクよりだいぶ安く、
もしかしたら私の落ち着きなさをみて、おじさんが連れて行ってくれたのかな、なんて
そう思ってしまいます。

英語はしゃべる?
バス私の隣にいた同い年くらいの男の子はそうたずねてきました。
「少しだけ。あなたは?」
「僕はカナダから来ているんだ。君はここに住んでいるの?」
「2泊しかしてないただのツーリストだよ」
「そっか、すんでるんかと思ったよ。」
そんな話をしていると、どうやら彼はもともと13歳くらいで難民申請を受け、カナダに移住したようでした。
移住してから3年後、正式にカナダの市民権が与えられ、永住できるようになったよう。
彼はねずみ講事件で端を発したアルバニアの無政府状態から脱するためにカナダへ移住したそうです。

ねずみ講事件、3ヶ月で金利100パーセントという状態を政府黙認で続けていたのが原因で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の終結と同時に国民の半数が破綻に追い込まれたそうです。アルバニアの場合、集めた資金で武器を仕入れボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の紛争当事者へ売り払うことによって収入を得、配当を行っていたそうです。市場経済を導入して間もなかった国民の知識がその異常さに気づくことがなかったのが一番の原因みたいでした。(エンカルタ参照です。もちろん★)


ティラナから海岸沿いに沿って、山が連なっているのですが、ちょうどバスはその山々を越えて海側に出ます。
その山にはモンゴルのゲルのように、家を持たず、遊牧民として暮らしているトルコ系移民が住んでいるとのこと。
アルバニアに遊牧民??って思うかもしれないけれど、彼曰く、それは誰にも言葉としては知られず、当時トルコ移民が迫害されて山に追い詰められてそのように暮らすようになったそうです。
彼らの伝統的な歌や踊りは親から子へ、孫へとその歴史とともに語り継がれているそうです。アルバニア人もトルコ系の移民の伝統や暮らしは知っていても耳を傾けることはなく、国の外に出るとその存在すら知られていないんだ、と彼は言ってました。

国を離れて12年ぶりにみたアルバニアは、当時はバルカンの戦争中だったので今見る姿はだいぶ変わったよ、って言ってました。
どこを見ても建物の工事だらけ。本当に工事中なのか??と思うものも多いくらい。
その姿は少しインドに似ているところもあります。
ただ、モンテネグロといい、どこを見ても本当に建設ラッシュで、もっぱら外国人向けリゾート物件の販売が多く見られました。

アルバニアは10年前まで車を持つことを許されなかった国なので、道路事情は本当に限られています。
車の所有が認められなかった10年前まではわずか600台しか国に車が存在しなかったというのだから驚きです。
だから海沿いの海岸は手つかずの自然だらけ!!2000メートルの山から見下ろす海岸沿いはちょうどブルーのグラディエーションになっていて、道路は絶壁を走り続けました。


ビーチまでの道もがたがたで、舗装もされていない分、観光地としてはかなり魅力的にもかかわらずまったく人がいないのです。
アルバニアの岩山は石灰でできているので低層の木ばかりでその多くがオリーブでした。
ぼくはアルバニアのほかのどこよりもこの海や自然がすきなんだ。このオリーブはだれも現地の人はとらないから、カナダで売ったら儲かるね!なんて話してました。

ちょうど海の向こうにギリシャのコフーが見えてきたときに、彼の携帯にメッセージが入りました。
ようこそ、ギリシャへ!
って、、、、????
「プロパガンダだよ。こうやってこの海も、自然もまるでギリシャのものだと思わせるような広告を打つんだ。」
「でもこれって違法でしょ。」
「アルバニア政府も黙認だよ。こうやってお金もらってるからね。」
!!????
意味が分かりません。

アルバニアは貧しい国で、仕事も見つけるのが大変。だからこうしたものはもちろん、ギリシャ、イタリア、、ドイツなどに偽パスポートなんかを作って不法労働なんかも相当ざらなんだそうです。
「アルバニアに戻ってきたい?」
「無理だよ。でも戻ってこようとは思わないよ。仕事がないからね。」

6時間たって、バスは小さなカフェがたった2件しかない小さな村に着きました。ブーノです。
「ありがとう、話せて楽しかったよ!」
それから3つ目の村で彼はいとこの誕生日があるらしく、私は先にバスを降りました。

バスで出会った元アルバニア系カナダ人、この話を身をもって体験することになるとは、誰が思ったでしょうか。。。。


ブーノは本当に小さな小さな村で、駅の前に日本で言う八百屋さんがひとつあるだけの村。隣にヒマーラという小さな街があって、
なにかあればそこまで行かなければならないみたいでした。
ティラナのホステルの人にもらった手書きの地図がなくとも、村のひとはホステルの場所を聞けばしっていたので
全く問題なくたどり着くことができました。


手付かずのオリーブやイチジクの木が海沿いの荒野に広がっていて、ほんとうにのんび~りした場所。
ホステルに着くと、ティラナホステルからそのまま移動してきたゲスト達が庭先で団欒していました。
わずか4人、とスタッフ2人。
ホステルは昔学校として使われていたところを改築したもののようです。



ここのホステルはすっごく新しくて、なんとオープン10日目!!
私はちょうど20人目のゲストでした。残念ながらゲストブック2ページ目!

その日は私がついてすぐにみんなでビーチまで行くことになりました。
ビーチまでは30分ほどブッシュを歩いていかなければならなかったので、怠惰な私は
車で行くことに。



車の荷台にのって海までがたがた~~~。車が10年前まで一般家庭で持つことができなかったので
この辺は本当に舗装道路が少ないのです。
アフリカってこんなもんなのかな~と思わせる自然っぷりです。

その着いたビーチは、、、、
地元の人が数人と海辺にカフェがちらほら、
海は透き通るようなエメラルドグリーン。



やばい、めっちゃいいわ~~~~
ごみごみしたビーチばかりだった今までに比べてアルバニアのビーチは自然そのものの姿を見せてくれました。

アルバニアの大地は石灰が多いので、真っ白な岩肌に透き通る水がなんとも美しく、テレビのCMに出てきそうなビーチでした。

私たちがいたビーチから泳いで岩の裏側には小さなビーチがまたあって、
だあれもいない白い小石のビーチに一人、ぼーっと波の音だけを聞いていました。


戦時に使用していた。人数人が入れるくらい大きさの防空壕。海側に向かって小さなのぞき穴あけられています。
岩肌に数々見受けられました。その数はなんと全国で6000もあるそうです。

ノルウェーの子が、アルバニアはまだツーリストが少ないから行くのは大変だけど、その分すごく自然が綺麗だろうね。
って言ってたのを思い出しました。

バスで出会った元アルバニア人も、この小さな村の、美しい自然が何よりも好きだって言ってたのも、すごく分かります。

この大地を知る人しか、この姿を知らないんだって思うと、本当に来てよかった~って思いました。
まだここは、ツアーでは絶対に来ることが出来ない場所です。



耳に入るのは
セミの鳴き声と、波の音と、ヤギの足音、ドンキーの鈴の音、村の子供達の笑い声、
視界に入るのは
オリーブの木と白い大地と白い小石のビーチ、エメラルドのグラデーションの海岸沿い

ここにはそれしかないんです。
写真では伝えきれないですね(汗)
だあれもいないビーチにたたずむ爽快感はほんとうに心休まるものがあります。

その夜はみんなで4カ国ミックスの創作料理大会でした。
チキンベースのトマトスープとライスサラダ、
夕方来たオーストラリアの男の子とこのホステルのオーナーを加えて9人のまさしくキャンプみたいな夜でした。
できたてほやほやのホステル、作りかけの建物、デンマーク、クロアチア、日本、、オーストリア、アルバニア、
国際色豊かな夜のひと時は焚き火を囲んで深夜まで続きました。

朝5時おきだった私は1時でダウンだったけど、
ここのアットホームな時間は中欧ホステルランキング、ナンバーワンです。

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 ┃┃ 200807.09 民族ってなんだろう??
話はだいぶ遡り、
モンテネグロのプライベートルームでミッキーと話をしていたときに、そこにはたくさんの外国人が移住してきているとききました。
中欧のロシア、セルビア、マケドニア、(だからミッキーは4ヶ国語を操ります。)
ユーゴ戦争のときもコトルは平和だったそうですが、そのときにたくさんの人々がここに疎開してきたそう。
ただ、アルバニアのことを聞くと、自分達は民族の問題があるから行くには安全ではないけれど、旅行者である私はまったく大丈夫。たくさんのツーリストがそういってたよって行ってました。

彼女の家庭はセルビア人一家です。冬にはセルビアにいる親族に会いに行くそうです。

その日はアメリカ人、日本人2人で庭に面したテラスでのんびり団欒していたのですが、私たちがこんどアルバニアに行くことになって、アルバニアの話になると、
「彼らは私たちを皆殺しにするのよ。アルバニアなんて嫌いだわ。絶対に絶対に行くことはないわ。」
と、穏やかな表情を一変させ、泣きそうな表情になりました。
NATOの空爆も、なぜ空爆されたのなんて、何も知らずに、アメリカ人のポールに、なぜ?と質問をぶつけていました。
当時セルビア、モンテネグロだった彼女の国では、空爆された事実以外に、理由なんて知るすべもなかったようでした。

彼女はアルバニアなんて大嫌いだといいます。
もちろんそうでしょう。彼女の親族はセルビアにいて、彼女の家族はモンテネグロにいて。その事実からなんとなく、それ以上のことを聞くことはできないと思いました。

モンテネグロからアルバニアに入って、私は一人のアルバニア移民に会いました。
彼は民族問題の吹き荒れるアルバニアからカナダに移住して故郷を離れました。アルバニアにいては殺される、と。
故郷が大好きで、それでも迫害されて国を離れなければならなかったトルコ系アルバニア人。

民族って、そんなに大事なこと???
自分が日本人であること以上に、何の民族であるかなんて、生まれてこの方考えたこともありませんでした。
セルビア人はアルバニア人の報復に、アルバニア人はセルビア人の虐殺に怒りを持っていて、
なぜかというと、自分達の国を持ちたいから、独立したいから、独立は許さないから、単一民族の国家を持ちたいから、
あらゆる矢印がぐるぐるとめぐってはいるものの、ただ、その矛先を民族という形に向けることしかできないのはすごくすごく悲しく意味のないことに思えてしまいます。

旅をしている私には、到底理解できるものではないのかもしれないけれど、
少なくとも私にとって中欧は西欧とくらべてもフレンドリーで、親切な人たちが多い国だなあと感じたのは間違いありません
この地域の誰もが笑顔になる日が早く来ることを心から願っています。
西欧の火薬庫、そんなレッテルはこの人たちには似合いません。

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 ┃┃ 200807.10 ホステルを締め出されるの巻
それは突然の出来事で。
朝起きると、ちょうどクロアチア人カップルがホステルを出るところでした。
昨日話の9割はこのカップルが絶えず話し続けていたことを考えると、今日の夜はなかなか静かになるな、
と、ひそかにほっとしていたところです。
相手に話す隙を与えない二人のマシンガントークで、昨日の晩は全員が寝不足だったに違いない、そう思いつつ、笑顔でグバーイ!
やれやれ、と思い、2度寝をしようと横になろうと思った瞬間、なにやら外が騒がしいのに気づきました。
外に出ると、明らかにフレンドリーではない感じの警察とホステルの人が口論になってるではないですか!

しばらくすると、すべての荷物が建物の外に出されているのに気づき、警官らしき人は私の部屋まで入ってきて、
「全部建物の外にだして!」
とジェスチャーで伝えてきました。なんだかただ事ではない雰囲気にむっかあ~~~と来たのは私だけではないらしく、
大型犬のトリッキーもがんがん吠えてました。

ホステルが開業してからたった10日しか経っていなかったのでさほど荷物は多くなく、あっという間にすべて外に持ち出されてしまいました。
どうやらこの地域は二つの管轄警察にまたがっていて、営業許可をとっていたのは北の地域フローラで、今回の締め出しに来たのは南の地域の警察官(ヒマラーヤ)だったそうです。ところが以前ヒマラーヤに営業許可の話をしに行ったときにはフローラで許可が出ればいいよ、といわれたらしく、正当に運営手順を踏んでいたらしいのですが、なぜかある圧力があって営業を妨害しに来たようでした。
なんのことはない、金、です。
営業したかったら金を払え、そういうことみたいです。なんだかその裏にはギリシャ側の圧力もかかっているみたいで、しょっちゅうこういった金がらみの取引があるようでした。
そういえば、バスでアルバニアの彼が受け取ったメールも、ギリシャ側がアルバニア政府黙認で撒き散らしている広告だったなあ、、、

アルバニアの地域ではギリシャ側の圧力や賄賂なんかも耐えないそうで、こうして弱い立場であればあるほど、自由に経済活動を行うのも難しいのか、と言葉では片付けられない矛盾と無力さを目の当たりにしてしまったのです。

でもね~~~~!!ギリシャなんて、観光資源腐るほどもってるじゃん!!!アルバニアの手つかずの自然にいまさらなに嫉妬してんのよ!!
って、ホステルの人も我々も怒り爆発です。

その夜はとにかく寝る場所がないので、私以外はティラナに一度戻ることに、私はギリシャに向けてアルバニアの南部、サランダに移動することにしました。サランダに向かうバスも1時間後にあったので、不幸中の幸いです。

トータルに考えても、ここのホステルもティラナのホステルも、すごくアットホームでお勧めです。
ブーノは地球の歩き方にもロンリープラネットにも当分載る事はない村ですが、機会があればぜひ!寄ってみてください。
行きかたは、ティラナからフローラ経由のバスに乗って6時間、ブーノという村で降りればあとはホステル「SHKOLLA」といえば村人は誰でも知っています。
朝6時と発車はちょっと早いですが来る価値は十分あります。

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